ドロップアウトなう。

鬱のリハビリで始めたドロップアウト研究者(P.N.室屋キチジロー)のブログ。思考記録、諸々の雑感など。建築/歴史/民俗/デザイン/近代化遺産etc.

建築史にロマンはあるか

病人が言うのも変かもしれませんが、仕事をやめてるのでヒマです。

鬱の療養のため、しばらく仕事をしない期間を確保する予定ですが、時間を持て余しそうなので、ゆっくり調べ物でもしながら過ごそうかなと思っています。

 

建築家の歴史小説ってないの?

さて本題ですが、ここ最近ちょっと気になっている事があります。

 

 

建築史研究において、建築家の人物史はかなりの数の先行研究があります。

特に戦前・明治大正期の建築家たちは、建築史研究における人気ジャンルの一つと言っていいでしょう。各設計作品にフォーカスしたり、建築論に注目したりとその着眼点は様々ですが、一部の著名な建築家たちについては、どのような人生を歩んできたのかについてもかなり細かいところまで研究されているように思います。かくいう僕も大学院在籍時代は、眞水英夫という明治から昭和初期にかけて活躍した建築家について研究し、修士論文を書きました。

 

また一方で、近代の歴史上の出来事はよく小説のネタになっています。

最もよく目にするのは幕末の騒乱期の武士たちの物語ですが、物によっては専門家の人生を小説化したものもあります。例えば遠藤周作の「ファーストレディ」は戦後に生きた政治家の物語です。基本的にはフィクションですが、明らかに実際の出来事や実在の政治家を重要な要素として扱っています。司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、三人の主人公のうち二人は特に戦術を専門とする軍人将校、もう一人は俳人で、いずれも実在する人物です。

他にも起業家を扱った小説なんかも結構見るように思います。

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遠藤周作『ファーストレディ』新潮文庫司馬遼太郎坂の上の雲』文春文庫

 

でも、建築家を扱った歴史小説ってないんですよね。

ごくたまに伝記・自伝なんかはありますが、ほとんどは外国人建築家のもので、小説的な楽しみ方というよりは、どちらかと言えば建築論の醸成と変遷をベースとした、専門書としての役割が重視されているように思います。専門用語が多く使われていますし、感情移入できる要素が少なく、一般には興味を持ちづらい内容だと思います。

では、建築関係者にも、広く一般向けにも楽しめる建築家の歴史小説って書けないんでしょうか?ネタになりそうな建築家っていないんでしょうか?

 

今、建築ってマニアしか情報にアクセスしてないよね

ここで一旦話を脱線させて考えたいのは、現状、そもそも建築に関わる仕事や学問を経験していないほとんどの人にとって、建築家や建築のデザインのことって興味が無いというか、意識の外にあるんですよね。

でも実際には、僕が仕事にしていた文化財建造物にも、憧れのマイホームにも、インスタ映えするという理由で流行るスポットにも、設計してる建築家やインテリアデザイナーがいたり、工事してる職人さんがいたりします。その存在に気がつけば、例えば面白い映画を見たあとに同じ監督の作品のDVDを見るように、建築のファンももっと広がっていくんじゃないでしょうか。

つまり建築家が可視化されることで、建築情報に触れるフォロワーをもっと広げ、「建築というコンテンツ」を楽しんでもらえるんじゃないかなと思うんです。

 

建築って基本的にすごくお金がかかるので、やたら槍玉に挙げられてしまいますし、専門知識がない人から悪者にされがちです(豊洲市場の問題がいい例と思います。築地市場移転に関わる既得権益者の合意形成失敗のスケープゴートになってしまいましたが、実際には建物としての品質には何の問題もなかった)。でも実は建築やってる人って危ういほどに社会正義意識の高い人たちなんですよ。大学教育であれほど「要領の良さ」より「正しさ」を評価される学問って珍しいと思います。それゆえに、ガチ勢ほどプロモーションとかお金に潔癖だし、弱い。

そんなこともあって、ホントはもっと色んな人が楽しむことができる「建築というコンテンツ」は見過ごされてきたように思うんです。

(それに苛烈な労働環境も、建築そのものに対する注目や再評価の流れの中で改善するのではという思いもあります。)

 

一例として小説は、その「建築に関わる人」の存在に気づくきっかけになりえるし、その延長として「建築というコンテンツ」をもっと豊かに楽しめるようになりえるはず。

ただ、仮に建築家を主人公にした小説があっても、建築設計や理論のことをフォーカスしてしまうと建築を専門とする人や一部のマニア以外にはあんまり面白く思ってもらえないと思います。考えてみれば大抵の小説って、専門的なことをネタにしていても重心は人間ドラマや登場人物の葛藤にありますよね。

 

ロマン、あると思います

歴史のダイナミズムにもまれた建築家、結構います。

例えば、現在の東京大学建築学科の前身である工部大学校造家学科の第一回目の卒業生となり、最初の日本人建築家となった人たちがいます。即ち辰野金吾、曽禰達蔵、片山東熊、佐立七次郎 の4人です。彼らは4人共ペリー来航(1853)前後の生まれで、激動の幕末・維新の頃に少年〜青年期を送っています。工部大学校入学後は各々建築界の黎明に重要な役割を果たしていて、作品も比較的知られている建築が多いといえます。

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「工部大学校の卒業生たち」村松貞次郎著『草創の人々』より転載

 

辰野金吾の人生は立身出世の物語です。

1854年、九州の小藩であった唐津藩(現在の佐賀県唐津市)に生まれます。生まれた家は武士でこそありましたが、足軽にもなれないような最下層の家柄でした。しかし維新期のゴタゴタの中でうまく立ち回り、後に総理大臣となる高橋是清に英語を習い、師・是清を追って上京して工部大学校に入学。しかし最初に所属したのは造船学科でした。2年生の終わりに造家学科へと移籍。つまり第1期生の中でも途中参加で、出遅れだったわけです。

その後は工部大学校造家学科の教授に日本人で最初に就任、国にとって重要な施設の設計を数多く任され、造家学会(現在の日本建築学会)の初代会長をつとめます。後進が育ってからは国家プロジェクトの設計者選定の審査員を務めるなど、まさに建築界黎明期のフィクサーであったといえます。戦国時代に生まれていれば武将としても活躍しそうな、政治上手で豪胆な人物であったと想像されます。

有名な作品は、東京駅・日銀本店などがあります。

 

曽禰達蔵は時代に揉まれて葛藤する生涯を歩んだと思われます。

1853年、辰野と同じ唐津藩士の子として生まれますが、一方で曽禰家は馬廻り役・奥役などをつとめた、いわば大名の側近を輩出してきた藩の名家でした。父親の寸斎は江戸詰で、印の製作や書に長け、詩歌も嗜む文化人です。つまり曽禰は江戸育ちの良家のお坊ちゃんであったといわれます。しかし維新の結果、殆どの武士たちは軒並み職を失う時代です。佐幕派藩士の曽禰家も少なからず煽りを受けたでしょうし、坊ちゃん育ちの曽禰に容赦なく降りかかる江戸での幕末は、大きなカルチャーショックだったに違いありません。

曽禰はもともと文化人の家庭に育っていますし、建築は工学の産物であるとともに総合芸術でもありますから、工部大学校造家学科に入学すると設計者としてメキメキ頭角を現します。教授であったイギリス人建築家ジョサイア・コンドルからは「自分の次の教授に」と推されていたのですが、そこに豪腕・辰野の登場です。結局最初の日本人建築家としての看板は、辰野が背負っていくことになりました。その後も一つ年下の、しかも世が世なら部下になっていたであろう辰野の脇で、地味に、しかし堅実に建築家としてのキャリアを重ねてゆきました。有能でありながら穏健で繊細な人物であったことが想像され、辰野と曽禰の対比を「太陽と月」と例える人もいます。

有名な作品は、師のコンドルと共同設計した三菱財閥の建物や、小笠原伯爵邸などです。

 

山東熊は維新の騒乱と最も関わりの深い建築家です。

1854年、後に倒幕を主導することとなる長州藩(現在の山口県萩市)に、下級武士の子として生まれます。1963年の下関戦争で長州藩は英・仏・蘭・米に敗北し、外国勢力への対抗のため奇兵隊を組織。兄とともに年齢を偽って10歳で入隊します。奇兵隊は後に倒幕の重要な勢力として活躍し、兄が山縣有朋(奇兵隊創設に関与。後に陸軍や政界で活躍)の信頼を得ます。その縁をきっかけに、薩長が大きな勢力となった明治政界にコネが出来、工部大学校への入学。卒業後は博物館建築や皇族関係の建築を多数手がけ、建築家としては独特なキャリアを積むことになりました。豪腕・辰野とは違いますが、確実に明治建築界の元勲と言える人物です。没後正三位を送られているのは、建築家としての最高位ではないかと思います。大柄な人物でしたが、意外に繊細な人物でだったと言われています。

有名な作品は、現在迎賓館となっている赤坂離宮(旧東宮御所)などです。

 

佐立七次郎については、実は僕、あまり詳しく知りません(笑)

1857年、高松藩(香川県高松市)で藩士の子として生まれます。第1期生としては一番年下なんですね。他の同期が華々しい経歴をたどる中、鉱山勤務や電信関係の施設などかなりテクニカルな建築を担当しています。

有名な作品は、旧日本郵船小樽支店や日本水準源点標庫です。

 

明治建築界を妄想する

以上のように、日本人最初の建築家たちの人生、調べればまだまだ結構なドラマがありそうです。(本稿は基本的に僕の既存知識にウィキペディア程度のウラ取りで書いていますから、若干の記憶違いなどはあるかもしれません。)佐立なんかは情報が少ない分想像を掻き立てられる部分もありますし、こうしたかなり濃い人生を歩んできた人達が、机を並べて勉強をしていた「工部大学校」の様子とか結構すごい世界だったんじゃないかと思うんですよ。造家学科以外の学生も居たはずですし。

この4人の中で、個人的に面白いと思っているのは曽禰達蔵です。この人、幸せな幼少期と激動の少年期、それでも生きる道を見つけた青年期と、結局脇役に甘んじざるを得なかった壮年期。超葛藤してると思うんです。対になる辰野との関係なんかも含めて、それこそ小説や映画になってもおかしくないんじゃないでしょうか。

 

冒頭で述べたように、はからずも時間が出来ました。

療養する実家は九州ですから、この辰野・曽禰の二人の建築家を中心にいろいろ調べて、明治建築界の人間ドラマを妄想して遊ぼうと思います。

ネタが溜まったらブログに小出しにしたいです。