ドロップアウトなう。

鬱のリハビリで始めたドロップアウト研究者(P.N.室屋キチジロー)のブログ。思考記録、諸々の雑感など。建築/歴史/民俗/デザイン/近代化遺産etc.

まえがき

僕は大学・大学院生そしてサラリーマン研究員として建築史の研究をしてきた人間です。

昨年鬱を患って仕事をやめ、良くも悪くもいろんなことを考える時間が出来ました。

続くかどうかはわかりませんが、せっかくなので考えたことや調べたこと、感じたことを書き留め、公開してみようと思います。見る人がどれくらいいるのかは想像もつきませんが、意見をかわせる方がいてくれると嬉しく思います。

 

以前の仕事や業界に関する批判なんかも書くかもしれないので、『室屋キチジロー』という名はペンネームです。「室屋」は長崎県・五島出身の祖父の生まれの名字、「キチジロー」は遠藤周作著『沈黙』での登場人物からとりました。

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マーティン・スコセッシ監督 映画「沈黙」より 棄教を迫られるキチジロー(窪塚洋介)

 キチジローというのは江戸初期・禁教時代の五島の隠れキリシタンで、家族の前で踏み絵を踏まされ、役人に脅されてポルトガル人司祭(パードレ)の居場所を密告してしまう人物です。一見すると卑怯な小心者ですが、その実、自分の心の弱さを誰よりも嘆き・苦しんでいて、自らが売って牢につながれてしまった司祭に告解(コンヒサン)と言うかたちで罪を告白し、懸命に許しを得ようとします。

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―パードレさま。許してくだされ。(中略)俺は生まれつき弱か。心の弱か者には殉教さえ出来ぬ。どうすればよか。ああなぜこん世の中に俺は生まれ合せたか。―

遠藤周作著 新潮文庫『沈黙』より

司祭の視点で書かれるこの小説の主人公は、本当はキチジローなのではないかと僕は思っています。

キチジローはその後、司祭が拷問にあって棄教した後も司祭の使用人として寄り添い、生活をともにました。心の弱い彼の信仰心は果たして偽物でしょうか。

 

鬱で仕事を退いた今、僕は自分の気力・体力・能力が足らなかったという自分の弱さが大変悔しく、またドロップ・アウトしたことに恥の意識があります。一方で建築や歴史は間違いなく今も好きです。その狭間の苦しみをキチジローになぞらえ、『室屋キチジロー』と名乗ることにしました。

 

とはいえ、僕もまだこのブログに何を書くか決めているわけではありません。

鬱を患う身ですから、誰かが見てくれるのを半分程度に期待しつつ時たま更新できればと思います。